東京恋慕Ba.(サポート)の「サポート」について
こんにちは、のりともです。
今週土曜日はいよいよ東京恋慕ワンマンです!
「ところでのりさんは東京恋慕のメンバーなの?」と聞かれることがあるので、
東京恋慕Ba.(サポート)の「サポート」の部分の経緯と想いについて書いてみました。
ワンマン詳細↓
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東京恋慕ワンマンライブ
9/7(土)12:00~at下北沢ろくでもない夜
入場無料(別途1ドリンク)
https://twitter.com/tokyorenbo/status/1159808828528975872?s=19
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東京恋慕 ブロンきめてたからだよ
まずは僕の昔話。(うろ覚え)
サラリーマンとしてうまくやっていけず退職した時、高円寺のDJ BAR 「THUNDER」に拾ってもらったのが確か25歳くらいの時
社会から認められない気がしていて、
反骨精神に充ち溢れ、なんかやってやるぞ!!!!と燃え上がる気持ちで、
友達や先輩に協力してもらいながら、お店の運営を頑張っていました(この話はまた別途)
健さんと出会ったのは僕が銀杏ボーイズナイトというイベントを開く1週間前。
イベントをやるのを決めちゃったはいいけど、もうちょい出演者増やしたいなぁと思ってた時、高円寺駅前で銀杏を弾き語りしていたのが健さん。僕は即オファーした。
当日、イベントには石川先生も来ていて、健さんの歌にすっかり惚れ込んだ。このきっかけで我々は遊んだりするようになった。
しばらくして私が数年に一度やってくる深めの鬱で2週間くらい全く働けなくなったとき、
石川先生と健さんは僕の所を励ましに訪れてくれた。
その時辺りに、健さんと石川先生の間では、バンドやろうという話になっていて、その流れで僕も誘ってもらい、バンドを始める事にした。
高円寺で、絵に描いたようなダメな生活をしていた僕達は、「バンドを通して社会復帰しよう」という話をした。
バンドを始めてからはまあまあ大変だったけど、とても楽しかった。
宣伝についてみんなで考えたり、オーディションに出てみたり、友達や先輩のライブに感動したり。
その頃、東京恋慕というバンドは始まっていた。(詳しくはホームページ参照)
同じライブに出たりして自然と恋慕と仲良くなった僕は、東京恋慕の初代メンバーが抜けてしばらくしてから、サポートベースに誘ってもらい参加するようになった
僕がサポートに入った直後くらいに、
東京恋慕のみんなの今までの努力が報われ、webメディアに取り上げられた。
それからというもの、自主企画ライブ、コンピの制作、作品制作や遠征…
怒涛の勢いで色々なことが過ぎ去った。
その時間を一緒に過ごし、僕に、もはや東京恋慕のサポートメンバーという意識は無く、
本当に楽しく、僕も1メンバーという意識で、今持つモノ全てをかけバンドに参加させてもらっている
ドラムの石川先輩は今メンバーではないし、
最後の方は僕も、ベースを鶴さんにお願いしていたし(MVのベースは鶴さんに弾いてもらい僕は裏方に徹した)、
この文章を書いてる今、健さんともう1ヶ月くらい連絡がとれていない(生きてはいるらしい、弾き語りのライブには出たり出なかったりしているみたい)
こんな状況だけど、
それは意地とか、強い決意とかでは無く、単純に、
健さんがまだ世に出していない名曲を持っている事を知っていて、
ぼんやりとやり残している感覚があるから。
コンスタントにライブをしていくのは難しいかも知れないけど、
タイミングがあった時は制作をしたい。
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東京恋慕ワンマンライブ
9/7(土)12:00~at下北沢ろくでもない夜
入場無料(別途1ドリンク)
https://twitter.com/tokyorenbo/status/1159808828528975872?s=19
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